水(2)

地球の歴史、46億年の中で生物が陸に上がったのが4〜5億年前と言われています。
最初に海が出来たのが41億年前で、最初の原始生命(バクテリア系でしょうか?)は約39億年前。すなわち、生物は長い期間ずっと水の中にいた事になります。
胎児は10ヶ月もの間、羊水の中で育ちます。羊水は塩分濃度は低いが、成分は海と同じと聞いた事があります。
ちなみに、人の誕生は生命の30億年の歴史と言う人も。水(羊水)の中で力を蓄え、地上に。
波のリズムと呼吸のリズムが同じであったり、穏やかな海を見ていると落ち着いたりするのは、そういう水の中での原始の生活(?)が何億年もの間に私たちに引き継がれているからでしょうか。

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ヤマト

普段はテレビを見ないのですが、たまたま朝テレビをつけると、ささきいさおさんが宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲を歌っていた。

小学生の頃、テレビで見ていて番組の終わりに「地球滅亡の日まであと250日」と出ると、それまでにヤマトに地球に戻ってきて欲しい!と思ったものです。

オープニングのこの曲は単に地球を救うために、イスカンダルへ行って必ず帰って来るという情景描写をしているだけなのに、そこに人との出会いや別れなどの感情描写が映し出されていて、聴く人が持っているそれぞれの感情を無意識に思い出させるところがすごいなぁと思って聴いていました。

宇宙戦艦ヤマトみたいな派手さは無くてもいい。静かで穏やかな情景描写の中から、過去とか未来の感情にコンタクトできる写真が撮れればいいなと思っています。

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戻る場所

調子の良い時は何も考えなくても物事は上手くいきます。写真であれば、撮るものに困らないし、ゴルフであれば無心で打ってナイスショット、仕事も良い方に廻り出す。

しかし、一度スランプに陥ってしまうと、どうやっても上手くいかない。シャッターは押せない、仕事もうまく廻らない、スイングもぐちゃぐちゃ。考えれば考えるほど深みに嵌まっていってしまう。

そういう時に、考えるのを止めればいい。という考え方もありますが、自分の戻れる場所を一つ持っておくのも一つの方法だと思っています。

仕事でも最初に教えてもらった事が何かあるはず。写真でも最初に撮り始めた事があるはず。ゴルフで言えば、最初にレッスンしてもらった事とか。

陶芸家である妻は、窯元に入門した最初の一年間、湯飲み茶碗しか作らせてもらえなかったといいます。毎日何十個、何百個の湯飲みを作って棚に並べては、師匠が出来の悪いものを何も言わず倒していく。そして自分で何が良いのか考えていく。そんな事を一年間したそうです。

湯飲み茶碗には全てが入っているといい、そこが彼女の戻る場所となっています。

私の場合は、日々の出来事を記録していく事から写真を始めていて、そこが自分の戻る場所になっています。

そこをもう少し大事にしていこうとhibiと言うサイトを毎日更新しています。

何事も3日坊主の自分ではありましたが、何とか100日を迎えています。

これからもずっと日々が記録できますように。

 

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リー・トレビノ

ここもう10年以上していなかったゴルフを再開してみた。練習も結構してラウンドに備えたのですが・・・当然のごとく結果は。それからは、ユーチューブで効果的な練習方法というものを検索する日々。

しばらくするとyoutubeの「あなたへのおすすめ」というところにリー・トレビノが出てきました。僕が20歳くらいの時にはもう大活躍していて(むしろ、もう脂は乗り切った感じがありましたが)、メジャー大会で言えば、全米オープン2勝、全英オープン2勝、全米プロ2勝している偉大なプレーヤーです。現在75歳。

彼はフェードボールという球種(打ったボールが少しづつ右に曲がって落ちていく)を得意球にしていて、ほとんどのホールをその球で攻めてき、数々のタイトルを手にしました。

その彼が唯一手に出来なかったメジャータイトルがあります。

「マスターズ」

マスターズが開催されるオーガスタ・ナショナル・ゴルククラブはドローボール(打ったボールが少しづつ左に曲がって落ちてく)を打つ人が有利なコースと言われているのですが、トレビノはそのコースも自分の得意球で攻めていきました。結局優勝は出来なかったのですが。

そんな事を色々と思い出していると、ふと自分の得意球ってなんだろうかと思ったりします。これはゴルフじゃなくて写真作品の話です。優勝争いしている最終ホールでのプレッシャーの中、自信を持って振り切れるような、絶対的な自信を持って作品として撮れるものは何なのだろうかと。

 

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※本文と写真は関係ありません。

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貝殻集め

私の自宅周りには海と山しか無い環境です。自分の家の裏山の事(自分の住んで居る町の事)を何も知らないと思い、山の中に入り始めました。

天気のいい日もあれば、悪い日もあります。たまたま霧の日に山に上がってみて、その少し暗くて怖いけど、霧に導かれて写真を撮っていく感覚を覚えて、霧の日に山に上がり続けました。

霧が出ていると思って山に上がった日に山頂は霧が無い場合もあります。心をフラットな状態にして山を歩いていると、その日のターゲットが少しづつ形つくられていきます。

木々の間に差し込む光に美しさを感じたなら、その光を求めて山の中を歩きますし、綺麗な花を見つけたら、色々な花を探しながら歩きます。一番お気に入りの花を持ち帰り、投げ入れの花にしたりもします。

それは海辺で貝殻を集めている様な感覚なのです。

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久しぶりに撮影データ書きましょうかね。
Nikon S2 : Carl Zeiss Jena tessar 5cm F2.8 : acros 100

 

 

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水 (1)

モノクロのプリント作業している時、最後に水洗という工程があるのですが、水洗の水の中にあるプリントがすごく美しくて、どうして水の中にあるプリントは美しいのだとうかといつも思っていました。
 

「水を潜らせる」という言葉を聞いた事もあります。料亭などでは使う前に器を水で湿らせると聞いた事もありますし、華道などでも、いけた後に霧吹きで水を吹いているのを見た事がります。80年代のアイドルのレコードジャケットでもアイドルが海に浮いていたり、お風呂上りの様なものもあったり。雨上がりや霧の中の森も、森全体が「水を潜らせた」状態になっている感じがします。
 

水って一体何なんだろうか。人間の70%くらいは水で出来ているって言いますし、人間、いや生物、地球にとっては無くてはならないものなのですが、その水が通る事でなぜ物事が美しいと感じるのだろうか。

 

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アザミ

最近まで元気に咲いていたアザミ。

風に吹かれたのか、何かにかじられたのか、倒されたのか。

皮一枚で繋がっている。

足す事も引く事もできない自然のままの姿に

美しさを感じて摘んできた。

 

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